しまき りゅう創作人形・創作人形館/樋口一葉と水仙

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樋口一葉と水仙


明治時代を代表する女流作家といえば、樋口一葉です。
わずか24年という短い生涯の中で、名作を次々に世に送り出し、女流作家の草分けとなった人です。
2004年に5千円札になったので知らない人はいないと思いますが、
一葉さんがお札になる、はるか以前からのファンで、
高校卒業時に、「樋口一葉の現代性」というタイトルで卒業論文を書き、人形製作に取り組むきっかけにもなった人物として、
「人形町しまき りゅう創作人形館」でも樋口一葉についてご紹介したいと思っています。
人形町しまきりゅう創作人形館では、樋口一葉が執筆した小説22作品の全ての主人公の人形を創作し展示しています。

               

樋口一葉のめづらしい写真
樋口一葉と太田竹子
右が樋口一葉、
左が明治女学校通っていた
太田竹子。
一葉さんが萩の舎で
太田竹子に和歌を
教えていた頃の写真
樋口一葉がつけていた商売の仕入れ帳

樋口一葉が商いをしていた頃の仕入帳

 達筆な文字でひとつひとつ値段が書き込んである。

■樋口一葉について

樋口一葉の年譜
樋口一葉の小説
樋口一葉の和歌について
樋口一葉と水天宮
樋口一葉と明治女学校
明治時代の襖紙
明治時代の物価と生活費の目安
中原淳一とたけくらべ

■樋口一葉さんを偲んで歩く・・・私の日記帳より 

L2011年 211年 私の樋口一葉忌 (本郷法真寺から三ノ輪一葉記念館まで徒歩でまわる) 
K2011年 明治時代のお米の値段  
J2009年 萩の舎を訪ねて
I2005年 鏑木清方の絵を見て
H2005年 私の一葉祭
G2004年 私の一葉祭
F2004年 山梨県立文学館 樋口一葉展に行って
E2003年の一葉祭風景
D2003年 はじめてのお墓参り 
C2001年 一葉さんを偲んで
B2001年 私が見つけた樋口一葉にこだわる方々
A1999年 下町風俗資料館
@1999年 一葉の面影を歩く 

 折々の記 

2012/03/01

以前、大学院で樋口一葉の研究をしているという女子学生の子がこの人形館を訪ねてくれた。
当然、一葉さんのファンどうしなので話がもりあがった。
しばらくお話をしているうちに、その子がいきなり泣き出してしまった。
訳をきいたら、卒論のことで悩んでいるとのこと。しかもその原因はふたりの教授との板ばさみとか・・・
ひとりの教授のゆうことをきかないといじわるをされるのだとか。
詳しい事情がわからないので、なんとも言う事ができなかったのだが、一葉についてはとても興味を持っていたので、私が大事にしている本を貸してあげた。
もう卒論は書き終わったのだろうか?
その子の進路はいったいどうなったんだろうか?
無事に大学院に通っているのだろうか?
病気になってないだろうか?
などと人ごとながら心配している。

そのうち元気な顔で「本をありがとうございました!」と返しに来てくれるのを期待したい。

それにしても、よい大人がなんと料簡が狭いのだろう。
以前にも大学教授を兄に持つという人から話を聞いたことがあるが、親に対してひどいことをするらしい。
そういう人が人を教える立場にあるのだから、世も末かなあ、なんて考えざるをえない。
2011/11/23
2011年、11月23日樋口一葉の亡くなった日。
本郷の法真寺から徒歩にて三ノ輪の一葉旧居跡まで歩くその時の様子はこちらから
2011/10/25

七五三の意味

11月は酉の市のある月であると同時に七五三の月でもある。
うちの息子や娘にも着物をきせてお参りに行った記憶はあるが、まわりの人たちの子供たちへの贈り物をどう着せて、どう写真に残しておくかという行事にばかり気を取られて、恥ずかしながら七五三の意味まではあまり知らなかった。
この年になって、あるチラシに七五三の意味が書いてあったので今更ながらではあるが、知らない人たちの為に書き記しておこうと思う。

三歳=髪置(かみおき)  短くしていた髪を伸ばし始めるお祝い

五歳=袴着(はかまぎ)  初めて袴をつけるお祝い

七歳=帯解(おびどき)   着物の付け帯をとり、帯を結ぶお祝い

と、まあこんな意味合いがあったそうです。

うちの男の子たちには袴ははかせなかったなあ・・・これを知ってれば袴をはかせたのに・・・
2011/08/10

ファミマにて

先日、近くのコンビニ・ファミリーマートに買い物に行った。いつもここは何か音楽が流れているというか、DJらしき人が話をしているのが聞こえるので、ラジオ番組を流しているのかもしれないなあと思っていたのだが・・・
その時も同じ聞き覚えのあるDJの声だった。で、話はというと耳を澄まして聞いていたわけではないので内容はよくわからなかったが、その時にはやった事柄や音楽をはなしているらしかった。
買い物しながらなのでわからないことばかりだったが、二つだけわかったことがあった。

一つ目は、今まで女性の肖像が使われたことはないが、はじめて女性の肖像がお札に使われたということ。もちろんこれはいうまでもなく樋口一葉のことだ。若い人がたくさん来る、こういう場所で樋口一葉の名前を聞くのはとっても嬉しいなあと思った。

そして二つ目は、「世界の中心で愛を叫ぶ」はかなり売れて映画化もされ、その時に使われた平井堅の歌もヒットしたということ。
「世界の中心で愛を叫ぶ」の映画は私も見に行った。
この映画の映像を担当したのが私の高校時代の同級生だったからだ。
名前は、篠田昇。この映画が彼の遺作となった。
30年ぶりに同窓会をやって、ひさしぶりにみんなと再会し、彼の活躍ぶりを聞き、喜んでいたやさきだった。
彼が撮ったという映画「真夜中まで」は映画館に夫婦で見に行ったり、「四月物語」「スワローテイル」など、DVDを借りて見ていたりしていた。中でも彼が手がけたというテレビドラマ「白い影」のタイトルバックは、とても好きな映像だった。これからという時に亡くなってしまい、とてもショックをうけたのを覚えている。
今では彼に撮ってもらった友達との写真、夫婦の写真が大事な宝物になっている。


 この間の「折々の記」はこちらです


 2011/04/28

皇后さまと水仙

きのう、天皇皇后両陛下が東北の被災地を見舞われたニュースが放映されていた。。
その時、被災された方から、美智子皇后様に水仙の花が手渡された。

阪神淡路大震災の時には、皇后さまが、皇居に咲いていた水仙の花を被災された方に持っていかれたそうだ。
その時以来、水仙の花は復興のシンボルとなったそうだ。その話は今回はじめて知った。

樋口一葉のシンボルも水仙の花だ。
「たけくらべ」の最後に水仙の花が投げ込まれるシーンがある。
「どんな境遇にあっても強く逞しく生きろよっ!」という信如から美登利への応援メッセージとも思われる感動的なシーンだ。
今回の東日本大震災では被災地に逞しくも咲いていた水仙だそうだが、
水仙の花が象徴する強さを感じ、思いがけないところから樋口一葉を連想してしまった。
一日も早い復興を!と祈らずにはいられない。                          
                                        
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樋口一葉さんとは全く関係ない、しまき りゅうの個人的なページです
思いでの記「娘とふたりでフランス旅行」


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