樋口一葉と水仙/樋口一葉の略年譜



樋口一葉の略年譜

 

明治時代を代表する女流作家といえば、樋口一葉です。
わずか24年という短い生涯の中で、名作を次々に世に送り出し、女流作家の草分けとなった人です。
2004年に5千円札になったので知らない人はいないと思いますが、
一葉さんがお札になる、はるか以前(かれこれ40年になるでしょうか?)からのファンで
私が高校卒業時に、「樋口一葉の現代性」というタイトルで卒業論文を書きました。
少しでも知っている樋口一葉さんについてご紹介したいと思っています。
何分、何かと多忙の為、更新は不定期ですが、長い眼で見ていただければありがたいです。


一 葉 年 譜 備考
1857年 安政  4年  ・ 父則義、母あやめ(後 たきと改名)、中萩原村を出奔、真下専之丞を頼って上京。蓁書取調所小遣となる。
1867年 慶応  3年 父則義、御家人の株を購入し、組同心(南町奉行配下のいわゆる八丁堀同心)として明治維新に際する。
1868年 明治  1年 父則義、東京府庁に勤務 明治維新
1869年 明治 2年 東京府権少属となる。身分は同年の法令により、明治3年東京府権属卒となり、明治4年、東京府少属となった。家紋、横木瓜
1872年 明治  5年 0歳 3月25日(新暦5月2日)東京府第二大区(現在の東京都千代田区)内幸町1丁目1番屋敷の東京府構内長屋(官舎、現在の日本勧業銀行所在地)に樋口為の助(改名し則義)の次女として午前8時に生まれる。
本名は なつ。戸籍は奈津、自称、なつ、なつ子、夏、夏子。自署は夏子またはなつ子が多い。8月台東区下谷練塀町43番地に転居。旧11月太陽暦が採用され、本年12月3日を明治6年1月1日とすることになった。
1873年 明治 6年 1歳 11月、則義、東京府権中属となった。12月、則義教部省権大講義を兼ねた。この年から金融業を兼ねた。
1874年 明治  7年 2歳 2月、現在の港区麻布三河台5番屋敷に転居。6月、妹邦子誕生。9月、則義、東京府中属となった。10月姉ふじ、結婚。
1875年 明治 8年 3歳 3月、則義、法令により士族となった。7月姉ふじ離婚。9月則義、兼職を免ぜられた。
1876年 明治  9年 4歳 一家、本郷6丁目(法真寺前・桜木の宿)へ転居。12月、則義、願いにより本職を免ぜられた。
1877年 明治10年 5歳 3月、一葉、本郷学校に入学、月末に退学。秋、私立吉川学校へ入学。小学読本、四書の素読を学んだ。10月、則義、警視局傭となった。 西南戦争
1878年 明治11年 6歳 6月、吉川学校下等小学校第八級を卒業。七級に進み、この年のうちに退学。
草双紙類を耽読。
1879年 明治12年 7歳 8月、則義、東京地方衛生局に勤めた。10月、姉ふじ、久保木長十郎と結婚。長十郎は樋口家と同番地の平民。
1881年 明治14年 9歳 3月、則義、警視庁警視属となった。7月、一家、下谷御徒町1丁目14番地に転居。次兄虎之助、分籍、平民となり、久保木夫妻と同居。10月下谷区御徒町3丁目(上野駅前)33番地へ転居。11月、一葉、池の端の私立青梅学校小学2級後期に入学。 自由党結成
1882年 明治15年 10歳 2月、次兄虎之助、陶工成瀬誠至の徒弟となった。のち、薩摩焼金蘭焼着絵師となり、奇山と号した。
1883年 明治16年 11歳 青梅学校小学中等科第1級を5番で卒業。12月、同校小学高等科第4級を首席で卒業、3級に進級せず退学。在学中、教師から和歌の手ほどきを受けた。 鹿鳴館
1884年 明治17年 12歳 1月から和田重雄に和歌の通信教授を受けた。1月から2月にわたる「詠草」がある。以後、没年まで、詠草四十数巻がある。10月、一家、下谷上野西黒門町(湯島天神下)に転居。この年から、松永政愛の妻のもとに裁縫を習いに通った。 秩父事件
1885年 明治18年 13歳 この年、松永家で渋谷三郎を知った。
1886年 明治19年 14歳 8月20日、小石川安藤坂の「萩の舎」に入塾。入塾後まもなく、田中みの子、伊東夏子、一葉の3人で「古今集」の論議を試みた。 四迷『浮雲』
1887年 明治20年 15歳 1月から8月までの萩の舎歌会に関する日記「身のふる衣 まきのいち」がある。以後没年まで日記四十数巻がある。6月、長兄、専太郎、大蔵省雇となった。則義、願により退職。11月、専太郎退職。12月27日、兄泉太郎死亡。香典控に。夏目漱石の父直克などの名がある。この年頃、作家生活を憧憬した。
1888年 明治21年 16歳 2月、一葉、相続戸主となった。5月、芝高輪北町19番地に転居。則義は愛宕神社の神官松岡徳善を後ろだてとして荷車請負業組合の設立を企て、6月設立をみた。6月、萩の舎の先輩、田辺花圃、坪内逍遥の推輓により、小説「藪の鶯」を上梓。9月父、事業の為、一家神田表神保町2番地に転居 花圃 『藪の鶯』
1889年 明治22年 17歳 3月、則義、事業に失敗し、神田淡路町2丁目4番地に転居。5月則義、心労の為、病臥。死期の近づいたことを悟った則義は渋谷三郎に一葉と結婚することを依頼し、三郎は承諾した。7月12日、父則義死亡(60歳)
9月、母、妹と芝区西応寺町六十番地の次兄虎之助宅に同居
。このころ、三郎との婚約、先方から破談。
大日本帝国憲法
1890年 明治23年 18歳 1月、妹邦子の奉公口を探した。4月、第三回内国勧業博覧会が開催され、その売り子になろうとしたらしい。5月、萩の舎の内弟子になる。師匠の中島歌子は、家庭の事情に同情し、女学校の教師に推薦しようなどと言ったが、実現せず、しばらくの小間使同様に使用された。このころ「無題六」を執筆。9月母、妹と本郷菊坂町70番地に転居し、独立。裁縫仕立てや洗い張りなどで生計を立てた。 教育勅語
1891年 明治24年 19歳 1月「かれ尾花一もと」執筆。このころ小説家として生計を立てることを決意。4月15日、邦子の友人、野々宮きくの紹介で、半井桃水(朝日新聞の小説記者)に会い、小説の指導を受けた。11月、随筆「森のした艸 一」執筆。この年、あし(銭)がないという洒落で、達磨が乗って渡米したという芦の一葉にちなんで一葉と号した。
1892年 明治25年 20歳 2月、雪の日の桃水宅訪問。「雪の日」の着想。
3月、桃水が一葉宅訪問。桃水主宰の文学雑誌「武蔵野」が創刊され、そこに一葉の「闇桜」を発表。4月「改進新聞」に「別れ霜」(署名、浅香のぬま子)「武蔵野」に「たま襷」発表。同門の島田政子と語った。島田三郎の夫人「われから」のお町のモデル。5月菊坂町六十九番地に転居。6月、桃水、尾崎紅葉に紹介しようと一葉に告げた。桃水との悪評が高まり、歌子の指示で桃水と一応絶交することになった。7月、「五月雨」を「武蔵野」終刊号に発表。9月「経つくえ」(署名、春日野しか子)を野尻理作主幹の「甲陽新報」に発表。
11月、花圃、三宅雪嶺と結婚。花圃の紹介で「うもれ木」が「都の花」に連載。はじめて原稿料をもらう。
1893年 明治26年 21歳 2月「都の花」に「朧月夜」を発表。3月、”文学界”に「雪の日」発表。
7月20日、石川銀次郎から15円、金策して敷金3円、家賃1円50銭の下谷竜泉寺町368番地に転居、荒物駄菓子屋を開業
12月、”文学界”に「琴の音」を発表
”文学界”創刊

「君が代」
1894年 明治27年 22歳 1月、星野天知、はじめて来訪。
2月、花圃が家門を開くことを聞く。
2月、秋月と称して、天啓顕真術師、久佐賀義孝を訪問
2月、”文学界”に「花ごもり」前半を掲載、(4月完結)
3月、馬場孤蝶はじめて来訪。日記に「わがこころざしは国家の大本にあり」と記している。歌子から、やがて家門をゆづりたいと告げられる。
5月店をたたみ、本郷丸山福山町4番地に転居。萩の舎の助教となった。
6月、蓮門教行者、二十二宮人丸を訪ねた。7月、従兄弟、幸作、病没。洗心館の小林あいの身の上について配慮した。このころ、天知の弟、星野夕影とあったらしい。7月「文学界」に「暗夜」を発表(11月まで)8月、戸川秋骨、島崎藤村、来訪。9月村上浪六に借金を依頼した。明治25年頃から野々宮きくに和歌を教えたりしていたが、このころから入門者が増した。
12月、久佐賀義孝に妾になることを求められ、拒絶した。「文学界」に「大つごもり」を発表。
日清戦争
1895年 明治28年 23歳 1月、「文学界」客員、戸川残花、はじめて来訪。「文学界」に「たけくらべ」を発表29年1月まで)
4月「毎日新聞」に「軒もる月」発表。大橋乙羽、はじめて来訪。5月「太陽」に「ゆく雲」発表。上田敏、川上眉山、はじめて来訪。6月「文芸倶楽部」に「経づくえ」再掲。8月「読売新聞」に「うつせみ」発表。9月「読売新聞」に随筆「そぞろごと」発表。
9月、「文芸倶楽部」に「にごりえ」発表。
12月、「文芸倶楽部」に「十三夜」と旧作「やみ夜」を同時に発表。
この年、創作活動頂点に。文名あがる。
下関条約
1896年 明治29年 24歳 1月「日本の家庭」に「この子」「国民之友」「わかれ道」発表。横山源之助、来訪。二葉亭四迷に紹介しようとした。「文学界」の「たけくらべ」発表完結
2月、「新文壇」に「裏紫」を発表、未完。
4月、「文芸倶楽部」に「たけくらべ」を一括発表。
「めさまし草」の<三人冗語>(森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨)が激賞。この頃までに泉鏡花と会った。このころ肺結核が発病
5月、「文芸倶楽部」に「われから」発表。緑雨、はじめて来訪。「通俗書簡文」上梓。「うらわか草」に随筆「あきあわせ」(「そぞろごと」と同文)再掲。6月「めさまし草」同人、森鴎外の弟、三木竹二、はじめて来訪。7月幸田露伴来訪。
「文芸倶楽部」に随筆「すずろごと」(「ほととぎす」)発表。8月、「智徳会雑誌」に和歌八百発表。病重く、山龍堂病院長である、樫村清徳は肺結核で絶望的と診断。安芸、緑雨、鴎外に請い、鴎外の紹介で青山胤道来訪。危篤と診断。
11月23日、午前、結核で本郷の丸山福山町にて病没。25日、築地本願寺で葬儀。遺骨は境内の納められた。法名、智相院妙葉信女。膨大な日記、随筆、小説断片、詠草などが遺されていた。
三国干渉
一葉の母は明治31年死亡。邦子は32年結婚、長男樋口悦ら六男五女をもうける 

 
一葉年譜は 昭和四十八年七月三十日発行 角川文庫 「たけくらべ」「にごりえ」他4編の  関良一編によります。
 


現在の山梨県から駆け落ち同然で江戸に出てきた両親に育てられ、農民の出だったにもかかわらず、父親の努力でいわゆる官吏の家に生れ、樋口一葉の幼年期は比較的裕福だったようです。二人の兄とひとりの姉、そして一葉と寄り添うように生きた妹、邦子の5人兄弟でした。
一番上の兄、泉太郎は早くに結核で亡くなってしまうのですが、この長男泉太郎の病気治療の為、豊かだった樋口家の家計は貧迫していったようです。

すぐ上の兄虎之助は薩摩焼の絵付け職人で、父親は当時さげすまされていた職人ということが気にいらず、また素行も悪かった為、勘当しています。
それで、父親亡きあとの樋口家を相続するのが女戸主の樋口夏子(一葉)になったのです。
しかしこの兄虎之助と一葉とは交流はあり、職人だった兄のことは、樋口一葉の小説「うもれ木」の中の主人公に投影されています。
年の離れた姉のふじは早くにお嫁にいきましたが、出戻ってきたり、またお嫁に行ったりしています。
結婚もしていない一葉が「にごりえ」や「十三夜」など、小説の中での既婚女性の内面の描写の見事さは、この姉の生き方も影響しているのではないかと思えます。お姉さんや年上の友人の女の生き方を、かなり細かく観察していたのではないかと思います。

時代が江戸から明治にかわった時、一葉の父がいわゆるお金で買った武士という身分の制度がくずれていきましたが、母親はかたくなに士族という身分にこだわったようです。生活の為、商いというものをやろうと決心した一葉に強く反対したのも母親でした。学問に理解のあった父親に比べ、女に学問は必要ないと進学させなかったのも母親でした。
学問が人一倍好きだった一葉は進学できず、悲嘆にくれたそうですが、それを見るに見かねて和歌の塾「萩の舎」に入れたのは父親だったのです。


その父親が事業に失敗し、借金を残して死んでしまった後、相続戸主となった一葉は生活の糧を得るため洗濯物をしたり、お針をしたりして生活していました。
ですが、文学好きの一葉は手先が不器用なことと目が極端に悪いこととで縫い物の仕事は妹の邦子の方が要領よくやっていたようです。

そして一葉19歳の時、自分の得意分野でお金を稼ごうと小説家を目指し、本格的に小説を書くことを仕事としてゆくのでした。
これは一葉が当時通っていた歌塾「萩の舎」の先輩、田辺花圃が「藪の花」で名声と大きな収入を得ていたことがきっかけで、一葉も作家になろうと決心したようです。
「萩の舎」は中島歌子が主宰する和歌を教える塾で、いわゆる華族と呼ばれる、上流階級の子女たちが多く通っていたそうです。
しかし、貧しい一葉と、その友達、伊東夏子や田中みの子等3人は「平民組」と言って、他の豊かな熟生たちとは一線を画していたようです。
樋口一葉は歌人としてはほとんど知られていない存在ですが、源氏物語などの古典に精通し、「萩の舎」では師範代も務められるほど優秀だったそうです。
しかし、学歴のない一葉は実力はあっても教師という職業にはつくことができず、定期的な収入の道が得られず、自分の得意分野で大きなお金を稼ぐには小説家の道しかないと思ったようです。
そこで一葉19歳の時、朝日新聞で連載小説を書いていた「半井桃水」に小説の手ほどきをうけることになるのです。
そしてまた、この師との決別と、士族の誇りを捨てて日銭をかせぐ商売というものに身を投じたことが、後に一葉が一躍脚光をあびる名作、「たけくらべ」を生み出す背景となってゆくのです。

ところで、樋口一葉にとって半井桃水は重要な人物なのですが、この桃水に引き合わせたのは妹邦子の友人、野々宮きくでした。野々宮きくは明治2年、千葉県に生れ、東京府高等女学校に学び、桃水の妹、幸子および桃水の家に同居していた鶴田たみ子と同級であったそうです。この東京府高等女学校は私が通った東京都立白鴎高等学校の前身なのです。
そしてこの野々宮きく子は、友達を一葉の講義を受ける為に誘ったり、良いにつけ悪いにつけ、何かと一葉一家を助ける為に尽力した人でもあります。

長〜いこと、一葉に関して調べていたのに、そのことに気がついたのはつい最近でした。

思わぬところに共通点があって驚きました。

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