樋口一葉と水仙/2009年 樋口一葉の学び舎<<萩の舎>跡を訪ねて


 

樋口一葉を語る上で忘れてはいけないのが「萩の舎」という存在です。

萩の舎は、一葉が小学校を11歳で卒業してから、学問好きな一葉の為に、父親が明治19年8月20日、 一葉14歳の時に入門させた中島歌子が主宰していた歌塾でした。

萩の舎は鍋島家、松平家をはじめ名門の夫人や子女が入門していて、一葉が入門した頃が最盛期で、 一時は千人余りの門下生を抱えていたそうです。 一葉は萩の舎で上流階子の子女に交わりながら、歌や書、そしてその基礎教養として 八大集や「伊勢物語」「源氏物語」「枕草子」などを学んだそうです。

その萩の舎跡地をぜひ廻ってみなくてはと思いつつ、なかなか行かれず、 まだ夏の日差しがきつい時期でしたが、時間が取れたので回ってみました。

 

 

後楽園駅を降り、北野神社を目指してゆく。
行く途中に「春日の局」の銅像があったので撮ってみた。 そういえばこのあたりの町名は春日だ。 近くに都営大江戸線に「春日駅」もあるし、 何かゆかりがあるのだろうと思いながら先を急ぐ。

 


しばらく歩くと北野神社が見えてきた。
境内には狛犬ではなく牛が鎮座ましましている。 ここは「牛天神」ともいうそうだ。

牛の体をなでると願い事がかなうというので、 私は思いっきりなでてきた。 その後利益は果たしてあったのだろうか?

北野神社の境内の中に中島歌子の歌碑があった。

 


中島歌子の歌碑

 

 

こちらが北野神社の表だったようだ。 私は裏から入ってしまったようだ。 表からの方が階段がきついので、裏の道を教えてくれたのだろう。

萩の舎を探すという目的がなければ、もと来た道を帰ったのだが、 私は萩の舎を探したかったので、この階段を降りて、萩の舎跡を探した。

北野神社では、中島歌子の歌碑をとったり、、すぐ近くの弁天様を拝んだりとしているうちに、 思いっきり藪蚊にさされ、足が痒くて痒くてふくれあがってきた。 それでも、その足で萩の舎を探さなくてはと、あちらこちらと動きまわった。

そうこうしているうちにやっと萩の舎跡らしきところを見つけた。 今はもうマンションが建っていて、当時の面影は影も形もないが、 ここに一葉さんが通ったんだと思うと感慨深い。

このマンションの前の道路をみるとちゃんと道しるべがあった。 あっ、やっぱりここでよかったんだとホッとした。

蚊にさされた足がものすごく膨れてきて、 いてもたってもいられず、ゆっくり感傷にふける状態ではなかったが、 念願の萩の舎跡を、この眼でみることができてほんとに嬉しかった。

何年もかかった課題をやっと終え、早くこのことをまとめようと思っていたが、 携帯で撮った写真があまり良くなくて、躊躇していたが、思い切って UPしてみることにした。

場所がはじめからわかっていれば、駅からは近いし、 もっとはやく探しあてることができたのだろうに。 残念ながら、本郷からの広範囲にわたる一葉案内の地図がなくて、 こちらの方を探すのに結構時間がかかってしまった。

一葉さんは本郷から、この道を歩いて通ったのだなあと思うと、何とも昔の人は凄いなあと 思わずにいられなかった。

この後、私の足はもの凄いことになってしまい、 後楽園駅の近くの薬局に駆け込んだのでした。 北野神社に行く時は寒い時が良いようです。

 

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