樋口一葉と水仙/一葉さんを偲んでNo1

2001/12/08


月というつきの光もみえぬかな
  
 やみをやみともおもはざる身は

★      ★      ★    


11月23日、快晴。
今日は一葉さんの命日。
勤労感謝の日でもあり、毎年祭日となっている 。
この日は私にとっては特別の日でもある。

毎年(といっても子供に手がかからなくなってからの、ほんの数年だが)必ず行くところがある。
本郷の東大赤門前にある法真寺と、三ノ輪にある一葉記念館である。
法真寺では一葉忌、一葉記念館では一葉祭が毎年行われているのである。
私はこの日両方を自転車で回る。
最初は道がわからなくて迷ってしまったこともあったが、今回はすんなり行くことができた。

ここにかぎらず出かける時はいつも自転車で、だいたいの地図を頭の中に入れて、きのみきのまま出かける。
こんなところにこんなものが・・という発見が楽しいからである。
道はどこかにつながっているから必ず家には帰れるだろうと思っている。
といっても冷や汗をかくこともありますが・・

まっ、これも自転車だからできることで、車ならこうは行かないだろうが。
車が運転できないわけではないが、車だと狭い路地裏までは入っては行けないし、
それに家には車がない!といういたって単純な理由なのです。

こんな私の文章、読んでくれる人がいるのだろうかと思いつつ、この文章を書いている。
一葉祭についてはUPするつもりもなくて、写真もあまりとらず、メモもとらなかったので
穴ぼこだらけの文章で、読んでいただく方にはほんとに申し訳ないばかりですが、
自分自身で忘れない為にも書いておこうと思ったのです。
そしてまた来年も元気で2箇所回れるますように!という祈りも込めつつ書いてみました。

下手な文章ですが、宜しかったらお付き合い下さい。


リュックをしょって家を出る。
まずは一葉が幼少の頃住んでいたという御徒町。
知る人ぞ知る「多慶屋」のある交差点より、春日通りをまっすぐ本郷の方に向かう。
しばらくは平坦な道だが、だんだんと上りがきつくなる。
しばらくすると学問の神様で有名な「湯島天神」が見えてきた。
ここにあるとは思わなかったので、私の計画にはなかったのだが、
息子の受験のお守りにと、お札をもらっていきたかったが、
反対側にわたる道がない。かなりもどらなければいけない。
時間がギリギリなので今回はあきらめ、出直してこようと思い通過する。

しばらくすると、本郷通リにぶつかる。
ここを右折し最初の目的地法真寺へ到着。

式典はもうはじまっていた。
今年は私が楽しみにしていた骨董市は出ていなかった。
去年はここで小さなキセルと一葉関係の古本を買ったのだったが・・。

去年は俳優の池部良さんのお話を聞いたのだが、今回はすぐお寺の奥にある一葉資料館に行ってみた。
ここは雑多なものがたくさん飾ってある、というより置いてあって面白い。
古い店の看板やら古い日本人形、劇のポスター、昔の生活用品などなど。

ここには毎年一葉忌にだけ頼まれて番をしているという住職さんのお知り合いの方がいる。
去年は、大事そうにしまってあるガラスのケースの中から、ある本をその方にお願いして見せてもらった。
吉原遊郭のことが書いてある本だ。
この本に去年気になることが書いてあった。

吉原では人気のある遊女ほど早死にしてしまうということだ。
病気になってもろくに医者にも診てもらえずに死んでいくそうだ。
そして、死んだあとは引き取り手もなく投げ込み寺に
投げ込まれておしまいということがほとんどだ、というようなことが書いてあった。

遊女は映画やテレビなどでは面白おかしく描かれることが多いが、
何かの本で見た遊女たちの並んだ姿を撮った写真、たぶん外人さんのとった写真だったと思うが、
その写真の中の遊女たちは、死んだ人のように無表情で怖かった。
そのイメージと重なってとても哀れだなと思ったのを記憶している。

今年は去年と違ってこの資料館でお線香があげられるようになっていたので、私はこちらの方でお線香をあげさせてもらった。
去年は本堂の方の大きな一葉の写真の前でお線香をあげたのだが、
なんだか気恥ずかしくて、今年はこちらの資料館でお線香があげられて良かったと思った。

そしてなんと嬉しいことに、その小さな祭壇のそばに、
どなたが作ったのだろうか、ミニ人力車が飾ってあったのだ。
それに一葉の小説に描かれている人物が着ていた衣装の説明書きまで展示されていて嬉しくなった。
早速、私はそれをデジカメで撮ってしまった。

この絵の下に説明書きが 書いてあった

 

 

飾られていたミニ人力車

 

この絵の下に説明書きが 書いてあった

森鴎外のファンで、鴎外の本を読んでるうちに一葉に興味を持たれたという中年の男の人がいて、
その方としばらく話をしていた。
すると2人の女の人が・・「日本らしいオミセねぇ」といいながら入ってきた。
ふたりとも外人さんだ。なのに日本語で会話をしている。それも上手な日本語!
それもそのはず、東大で日本の文化について教えている教授なのだそうだ。
この資料館でも飾ってあった本(何の本だか忘れてしまったが)、これは非常にいい本だと言って帰ったそうだ。
住職さんのお知り合いの方が、この外人さんたちがあまりにも日本の文化に詳しいので
ビックリしたと言っていた。この資料館でもらってきた資料の中に「一葉の洋髪」についての新聞の記事が載っていた。
一葉の洋髪は、前に買った本(森まゆみ著、『一葉の四季』)で見て知っていたが、
こうして改めて見てみると一葉さんも違った印象に見えてくる。
すくなくとも古めかしいイメージはない。
いったいどんな人だったのだろう?
今まで私が思い描いていたイメージが少しずつ変わっていく。
まあ、それもいいではないか。

そんなことを考えながら私は一葉資料館を後にした。

ちょうどおなかもすいてきたので、すぐそばにある<おそばやさん>でお昼を食べた。
後から入ってきた家族連れの人たちも一葉忌に行ってきたのだろうか。
小学生だろうと思われる女の子が、幸田弘子さんの朗読が凄く上手だとしきりに感心していた。
私は、親子3人でこういうところに来れるなんて、なんて素敵な家族なんだろうと思った。

時間がなくなるので私は急いでおそばを食べ、今度は一葉記念館へと向かった。

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