樋口一葉と水仙/マイブログ

その時々に感じたことや、樋口一葉に関することなどをとりとめもなく書いています。

読んでいただければ嬉しいです。

 

2020/10/17   自然ってすごいねっ!

この蒸し暑い夏を乗り越え、エレベーターのように温度が上がったり下がったりと、とても人間にとっては過ごしにくい年だったのに、エアコンもない庭で千両の木(草)は今年たくさんの実をつけ、今オレンジ色になっている。 この実が真っ赤になる頃には寒〜い冬がくるのだが、今年はたくさんみれそうで楽しみだ。お正月に飾ろうと思うのだが、その前にいつも鳥に実を食べられてしまうのが常なのだ。 今年はこの実が食べられないうちにお墓参りに行く時、墓前にそなえてこようと思う。亡き母がお祝いにくれたものだから。 まあ、鳥も生きていかなければならないからしかたないけどね。それで違うところにまた生えてきたりして、お互いさまだね。

 

2020/10/09   ご冥福をお祈りいたします

竹内結子さんがなくなりました。久しぶりに綺麗な女優さんだなと思っていた人なのでとても残念でなりません。ずっと気になっていたのでこれだけはかかなくてはと思いかくことにしました。 私がはじめて竹内結子さんを見たのは、テレビドラマ「白い影」でした。なんて無邪気な笑顔のかわいい人なんだろうと思って、この人だれだろう?と毎回楽しみに見ていました。 そして、このドラマではもうひとつ、発見もありました。タイトルバッグの撮影を担当していた人が同級生だったということ。 それまでタイトルバックって何なの?とわからなかったので、パソコンをはじめたばかりだった私が、掲示板(その当時は掲示板があったのです)で教えてもらったのも思い出しました。 もう19年も前になるのですね。このドラマとても好きだったので、DVDまで買ってしまっていました。 私の知る限りではこのドラマの中の人で3人も亡くなられてしまいました。竹内結子さん、津川雅彦さん、そしてタイトルバックを担当した篠田昇さん。と寂しいかぎりです。19年という年月を感じざるを得ません。 その後、竹内結子さんが出た映画、「ふしぎな岬の物語」を映画館に見に行って、こんななげやり?な女性の役もこなせる人なんだ、とビックリして帰ってきたのを覚えています。 私の好きな吉永小百合さんとの共演だったので嬉しかったのも確かです。 私生活では、歌舞伎役者さんと結婚し、離婚をし、シングルマザーで男の子を育てていたなんてちっとも知りませんでした。そして再婚し、40歳で出産をし子育て中だったということも・・・。亡くなってからはじめて知りました。 もっともっと生きていて色々な顔を見せてもらいたかったというのが正直な気持ちです。でも人には色々な事情があるのですから、苦しみも本人にしかわからない、誰にもわかってもらえないのも事実です。 どうか安らかにお眠り下さい。心からご冥福をお祈りいたします。

 

2020/08/09   コロナ禍、医療従事者の皆様、ありがとうございます!

コロナでなくとも病院に勤めるというのはとても大変なことです。私も結婚前に、栄養士として某大学病院で働いていました。
栄養士は看護婦さん(今は看護師さんというのですね)とは違って、一般のひとの目には触れることはないので認知度は低いですが・・
当時(45年前)は今と違い栄養があまり重要視されていなかった時代でしたので、患者さんの食事を作る職場は過酷とも言える場所でした。
コロナは換気が重要だと言われていますが、当時の調理場は、地下にあり窓など一切ありません。換気どころの話ではありません。
もちろんエアコンもないので、唯一、涼をとる方法は、なんと大きな氷を置いておくだけ!それだけです。
夏の暑さは今ほど暑くなかったとはいえ、調理を仕事とする場所であり、火を使う場所です。
体が慣れていない新人はバタバタ倒れたと先輩には聞かされていましたが、幸いにも私は大丈夫でしたが・・
それと、病院というと看護師やお医者さんは宿直するのは皆さんご存じでしょうが、調理場の人も泊まらなければならないのです。
「早出」の日は、朝5時から勤務がはじまるので、当然前日から泊まります。狭い部屋の中で、おばちゃんたちと一緒に雑魚寝。
自ら望んで選んだとはいえ、OLもやったことのある当時の私にはあまりの環境の違いに驚いたものです。
そして翌朝5時から調理場に入り、午後3時まで立ちどうしで働きます。時には午後5時まで働くこともありました。そんな早出という日が週に3日程ありました。
そんな過酷な労働の中、私はこれでは結婚と両立することはできないなあと退職しましたが、今はどうなっているのかわかりませんが、少しは違っていることを祈ります。
栄養士でさえそんな過酷なんですから、お医者様や看護師さんは推して知るべしですよね。
普通の勤務でもそうなんですから、今の新型コロナの感染状況では現場はとても大変だろうと推察しています。
医療従事者の皆様、ほんとうにありがとうございます!
防げるものは自分で防ぐ。できることはちゃんとやる。必要以外は外に出ない、それが今必要だと思っています。

2020/07/06   わび茶と本能寺の変

千利休が侘茶をはじめた人だというのは知っていたのですが、それが本能寺の変があったからだということを始めて知りました。
本能寺の変では織田信長が亡くなったばかりではなく、それまで信長が行っていた茶会で使っていた唐物の道具とかも全部焼け、道具がなくなってしまい、それで千利休が身近にある竹を使って茶杓をつくったり、輸入ものではない茶碗などで茶道を行うことになったとか。
それまでの茶道は高貴な人たちが高価な道具を競って茶会を行ったりしていたそうですが、本能寺の変以降、普通の武士たちも気軽に茶道を楽しめるようになったそうですよ。
本能寺の変が侘茶が生まれた背景にあったなんて今まで知らなかったです。歴史を知ると面白いものですね。

2020/05/03   外出自粛

せっかくのGWだというのに外出自粛でストレスたまってる人が大勢いると思いますが、皆様お元気でしょうか?何よりも元気ならそれが一番です。命より大切なものはこの世にはないのですから。
私はというと毎日日の出とともに起き、日の暮れるとともに寝ると言ったらオーバーですが、太陽の光とともに洗濯物をほしたり家の風通しをしたりと、いつもやっていることをいつものようにやっている毎日です。
もともとあまり人ともあわず、一人で楽しむことをモットーとしてきたので、この生活があまり苦痛ではありません。
GWはというと、いつも仕事で忙しい毎日を結婚当初から40数年ちかくしてきましたから、コロナで苦しんでいる皆さんには大変申し訳ないのですが、「へぇーこんな暇なGWが来るんだ」、という感じです。
でもやはりコロナは嫌ですよね。手洗い、うがい、消毒と気をつかうこばかりで、たのしめませんね。でもこの機会にひとりで楽しめるようなことを考えてみるのもいいかも。
なんて18歳で、年をとってからでも楽しめる何かがないかと考えてましたから。今思うとなんて変な子供だったかと思いますが、これも一葉さんの影響かもしれないです。
一葉さんの生活を想像すると、学歴もお金も地位も親の援助もないところから、自分の身の回りの出来事を、頭の中で想像して小説をかくという選択をした凄い精神力と生活力の人だと思います。
それを考えたら、今は恵まれているといつも思います。頑張らなくちゃ!と思います。
どうぞ皆様もお体に気をつけて前向きにこの難局を切り抜けて下さい。

2020/03/05   真央ちゃんのサンクスツアーチケットゲット!

昨年からの念願だった浅田真央サンクスツアーのチケットをやっとゲットすることができました。

でも今やコロナウイルスのおかげで、さまざまなイベントが中止になっています。はやく収束して!と、祈るばかり。

2020/01/04   今年もどうぞ宜しくお願い致します!

2019/12/30   今年もあとわずかになりました

報告が遅くなりましたが、鏑木清方の絵は見に行きました。他の展示もやっていましたが、疲れるので目的のもののみ見てきました。
「築地明石町」とても素敵でした。日本画ではあるけれど、モデルさんが七頭身?八頭身?といえるくらいスマートでほかの絵とは異なってみえました。
それに掛け軸仕立てになっていたのも以外でした。
今年もこのHPをご覧いただきありがとうございました。2020年が皆様にとって良い年であることをお祈りしています。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。

2019/11/05   鏑木清方の絵

今、国立近代美術館で鏑木清方の絵が展示されているそうですね。なかなかチャンスがなくてまだ見に行ってないのだけど、絶対みに行きたいと思ってます。
印刷ではわからない髪の毛一本一本丁寧に描かれていて感動したのを覚えています。
行方不明になっていた「築地明石町」がみれますよ!鏑木清方は樋口一葉の小説の挿絵を描いた日本画家です。

2019/07/07   いつのまにやら令和

ブログを更新しないうちに半年がたってしまいました。元号がかわり、いつのまにやらはしご酒(この節回しはわからない人も多いかな?)ならぬ令和!早いもので年はとるもんですなぁ。 アハハ
特にかくことはないのですが、この年になってはじめて<ほととぎす>という花?草?を知ったこと。この間の茶道のおけいこの茶花がこの花でした。
茶花は派手ではなく庭先の花をそっと摘んできて飾るというのが流儀なのですが、誠に穏やかでいいもんですね。
この半年色々なことに忙殺され、心穏やかにすごせないことばかりでしたが、茶道の時間だけは何事も忘れ、ただ一服のお茶をたてる所作に集中し、お茶をたてる。
ご亭主が立てて下さったお茶を、ただただありがたくいただく。ただそれだけの世界。
でもその気持ちをみんなが持っていないと茶道という世界はなりたたない世界です。私が一番!私が一番!という気持ちでは成立しない世界なのです。
「千里同風」という言葉が茶道の先生がお好きで良くつかわれますが、この言葉ほんとに大事だと思います。
「みんな同じ、どこにいても同じ風がふいている」という意味かと思いますが、みんなが同じとは言い難い世界ですが、そんな世界をめざしたいもんだなと思います。

2019/01/08   明けましておめでとうございます!今年もどうぞ宜しくお願い致します!

大つごもりの日、塩田良平先生に文学を教えていただいたという方からメールをいただきました。
ありがとうございました。私が高校の時、よく塩田先生の本を読んで卒論を書いたのを思い出しました。
直接ご指導いただいたなんてとても羨ましいかぎりです。
樋口一葉さんから離れてばかりいるこのHPですが、今年は少しがんばらなくちゃ。皆様今年も宜しくお願いいたします!

2018/12/30   今年もあとわずかとなりました。良いお年をお迎え下さい!

T年間を振り返る時期がきて、テレビではいいことも、悪いことも放送してるけど、あまり見る気がしないので、もっぱらラジオやパソコンのYou Tubeをみています。
今は便利な時代ですね。今年1年だけでなく過去何年にもさかのぼって映像がみれるのですから。
真央ちゃんの華麗なフィギアスケートを繰り返し繰り返し見て、毎回感動しています。真央ちゃんの声も優しくて好きで、癒されます。姉の舞さんの声も綺麗だなと思ってびっくりしたことあるけれど、この姉妹はほんとに恵まれた姉妹ですね。スポーツはあまり好きな方ではないですが、今頃になってこのフィギアスケートには音楽があるから違うんだなと気が付きました。それゆえに点数が個人の主観も入るのかな?なんてしっくりしない部分もあるような気もしますが・・・でもそれも今はどうでもいい。私には点数もメダルも関係ない、真央ちゃんの演技がこうやって見れるのがほんとに嬉しい。来年は生真央ちゃんが見れるようチケットゲットがんばらなくちゃと決意を新たにしました。今年1年このHPをご覧いただいた皆様に、来年はもっと充実したHPにできるように私も頑張ろうと思います。来年もどうぞ宜しくお願い致します!

2018/12/11   20年は早いもの

このホームページを1999年にはじめて以来、来年で20年になる。その間、ソフトやパソコン自体も変わったりとかして、ホームページを携帯対応にしたり、何度も試行錯誤で作り変えたりした。
今回もやっとスマホ対応にし終えたところだ。今度はどうなるのっ!って感じだけど、ついていけるところまではついていきたい。
過去には掲示板などというものもやっていて、心無い人から書き込みをされ傷つき何度もやめようかなと思いつつ、一人でも見てくれてる人がいるうちは続けよう!と自分で心に決め早や20年が過ぎた。
なんとも短い20年だった。こうやってだんだん時は過ぎて行くんだなあと思うと無駄なことを考えたり、やったりはしていられない気がする。
と、言って何か目的があるわけではない。ただ、自分がこの世に生まれてきた意味が何かあるのだろうと、日々模索しているだけ。
それでもいまだにみつからない。それでも孫たちの時代には月に旅行に行くのが当たり前になっているのだろうなあ、とかロボットが各家庭に1台はいる時代になっているのだろうなあとか考えるのは楽しい。
そうなっている世界を見てみたい気もする。
私がパソコンというものを知ってから世界が広がったように、時代は確実に変わるんだと実感している。
時がすぎるのはほんとに早いものだ。やり残したものがないように、これからの時間はもっと大事に生きていこうと思う。
まずは、来年は絶対、浅田真央サンクスツワーに行き、真央ちゃんの優雅にして華麗なフィギュアスケートを見るというのが第一番の目標です。チケットあたるといいなぁ。

2018/12/03   映画「日日是好日」

この映画は封切られた初日に上映している映画館を探して1度見に行った。
でもその時は樹木希林さんが亡くなってすぐだったので、寂しい気持ちの方がいっぱいで、正直内容はよくわからなかった。
といっても茶道のことを描いた映画なので難しいことではなく内容はよくわかったが、映画の画面がいきなり切り替わってしまって
それが主人公の心の動き、感じ方を表現しているんだろうなあとは思ったが、その切り替えに私は追いつていけてなかった。
何か未消化という感じだった。いつもならそれで終わっているのだが、この映画はもう一度見たかったので、
先日もう一度見に行った。あ〜あそういうことか、と2度みて納得ができた。

この映画は、茶道の世界を描いていると同時に人の生き方、茶道の奥深さを教えてくれる素晴らしい映画だ。
といっても茶道に興味のない人にとっては面白いのかどうかわからないが、少なくとも静かな時間、穏やかな時間だけは過ごすことができるはず。

掛け軸の意味、花々の存在、四季折々の節目の行事の意味など、映画では味覚と触覚だけは直に感じることはできないが、
五感のうちの、見るということ、聞くということがいかに大事かが自分の肌で感じられる映画だ。
五感を研ぎ澄ますこと肌でかんじること、それこそが茶道で一番大事だということを教えてくれている。
この映画を見てすぐに「森下典子」さんの本も購入した。嬉しいことに私が好きな樹木希林さんも茶道の先生の姿で本の帯に写っている。
ただひたすら同じ繰り返しの毎日でも、そのことができる有難さを感じること、目の前のものに五感を通して物事を見ること、これからはそうやって生きていこうと思う。

2018/11/12   孫の七五三

先日、孫たちの七五三のお祝いをした。
ちょうど七歳と三歳の女の子だったので、亡くなった母が娘の為に買ってくれた着物をふたりの孫たちに着せた。
自分の着物は着れるようになったが、人に着付けをするのははじめての経験。
かわいい孫たちが恥をかかないように、色々な本を購入したりして、だいぶまえから準備はしておいた。 が、
やはりはじめてのこと、汗びっしょりになって娘を含めて3人の着付けをした。
美容院で着付けるのとは違い、きちっとした着付けではなかったけれど、孫たちは喜んでくれたのでとても良かったと思った。
亡母がせっかく揃えてくれた着物なので、どうしても孫たちには着せたかったので、これでひとつ役目を果たせた気がしてホッとしました。

2018/07/23    足立の花火

先日、40年ぶりに足立の花火を見に行ってきました。
小さい頃は千住新橋のところでゆかたをきて(その浴衣がリップルという生地でガサガサして嫌いだった)花火をみたりした記憶は、
かすかにあるのだ が大きくなってから嫁にいくまでは花火大会はなかったような・・・
今回の花火大会が40回ということは私が嫁いだころから再開されたということなのだなと思った。
亡くなった母が家の2階から花火が見えるんだよ、見たいと言っていたのがずっと心にひっかかっていた。
いつもは静かな町だが、一年に一回、この時期だけはにぎやかになるのだなと今更ながら思った。
仕事の都合とはいえ実家の父や母を大切にしていなかったことを今更ながら後悔している。
せめてもの罪ほろぼしだと思い、 今回、父と母の写真と、ふたりが使っていた携帯電話をもって花火を見に行った。
ほんとにたくさんの人でいっぱいだった。
この荒川の土手は、私が小学生の頃友達と一緒に来て遊び場にしていたところだった。
半世紀以上もたってふたたびこの地に訪れるとは、 なんとも不思議なきがした。
月と星と花火が一緒になってとてもきれいだった。
それに、今はスカイツリーも加わった 。
変わるものなのだな・・
ほんとに「親孝行したいときには親はなし、さりとて墓に布団は着せられぬ」という東京物語に出てくる言葉とおりになってしまったな。
もっと早く気が付けばよかった、と後悔ばかり。
それだけ忙しい時間を過ごしてきたということだが、
忙しいというのはほんとに心を亡くすものだなと、 こころから思った。
来年の花火は見に来れるかどうかわからないが、
ともかく今年は見にこれて良かった。
今までの親不孝をどうか許して下さいね。

2018/06/19   父の着物

父が亡くなってから半年がたった。今まで父の日のプレゼント何にしよう?
なんて考えていたのに、 今年はいなくなってしまったのでお墓参りに行きました。
父が亡くなった当初は相続手続き等で暴殺され気も落ち込んでいたけれど、相続も完全に終わり一段落。
母の着物も父の着物も私がもらうことができた。
母の着物は私が着ることができるけど、さすがに父の着物は着れないから捨てるしかないかなと思ったが、
この着物は、たしかお正月着てたよなあ、とか、この着物をきた父が写真にうつっていたよなあ、
とか考えると捨てがたくなって困ってしまった。
そこで考えた。
着物としてはきれないけれど、帯にすることはできるだろうと。
そして父の着物をほどいて帯に仕立ててみた。
地味ではあるが、今の私の年相応でなかなかいい感じだと思った。
捨てなくてほんとに良かった。
改めて昔の着物もきてみると、地味で嫌いで似合わなかった着物も、今の自分にぴったり合うのにもびっくり。
しかも手のこんだものというのは往々にして地味なものが多い。
若いころの私にはその良さがわからなかっただけなのだ。
年をとるというのもなかなかいいものだなあと思う。
せいぜい着物を着てお茶会に出かけようと思った。

2017/12/26  今年ももうじき終わりますね

酉年の今年は色々なことのあった年でした。
社会でもたくさんのことがあり目まぐるしい年でしたが、個人的にも色々なことがありました。
最大の出来事は実父が12月に96歳で永眠したこと。
検査入院で入院してから3日で亡くなった父。
それまでは自宅で普通に過ごしていたのに・・
あまりにもあっさり亡くなってしまったので、悲しいというかその潔さにあっぱれという感じしかない私です。
94歳まで仕事をし、母の介護の為に仕事をやめ、母が亡くなった後は私たち姉妹に迷惑がかからないように、
色々なことを自分ひとりで処理していった寡黙だった父。
自分の親ながらほんとに立派だったと思います。
親がいなくなるというのは、年には関係なく、ほんとにつらいものだなと思います。

2017/08/16   樋口一葉さんから学んだもの

このところ一葉さんとは程遠い生活をしていました。
それで今、改めて私にとって、一葉さんとはどんな存在だったのかを考えてみました。
一葉さんの小説はもちろん素晴らしいのはいうまでもないけれど、
何がそんなに私の心を引き付けたのだろうかと?
考えてみると、一葉さんから多く学んだのは日本の着物や日本髪、日本の伝統文化だったような気がします。
実のところ一葉さんの小説を読んでいて、わからない言葉が多かったのです。
たとえば、「・・しゃぐま・」 「・・唐桟の着物・・」など??ばかりだった。
しかし、それが、「何だろう?調べてみよう!」と私の興味を惹いたのも確かな事でした。
私が一葉さんに興味を持った昭和40年代半ばは、高度成長期真っ只中でした。
若者たちは日本文化よりも外国のものに夢中。
習い事は茶道、華道にかわり、ダンス、テニス、ボーリング(習い事といえるのかな?)など。
へそまがりの私はそういうものには背を向け、
茶道、華道、和裁など、時代遅れとも言われたものに夢中で通いました。
まさに、それこそが一葉さんからかけられたマジックだったように思います。(日本文化をもっと知りなさい!と)
一葉さんが小説を、当時、はやりだしていた口語体ではなく、わざと、わかりにくい言葉でかいたのは、
明治という時代へのささやかな?(私は大きいと思うが・・)抵抗だったという研究者もいたような気がしましたが、
廃仏毀釈に象徴される、それまでの日本文化を否定し、洋風化を推し進めていこうとする明治という時代への抵抗を、
まさに小説を通して見事に我々にマジックをかけたような気がしてなりません。
未だにそのマジックにかかったままの私は、今、母が好きだった着物について勉強したいと思っています。
その中には、すたれていってしまった伝統工芸品も含まれています。
幸いなことに東京オリンピックを迎えるにあたり、日本について興味をもってもらえるいい機会が増えました。
若い人にも日本文化が見直をされ、日本の伝統技術を取り上げたテレビ番組などもも増えていて今は嬉しいかぎりです。
これを機会に、自分なりにできる範囲で、このHPでも着物や日本文化について発信していこうかなと考えているところです。

2017/04/13   浅田真央さんの現役選手引退について

まずはアスリートとしてトリプルアクセルの完成と完璧な演技に挑戦し続けてきた浅田真央さんに、
敬意を表するとともに、ファンとして彼女の演技がみれなくなるということに、とてもとても残念な気持ちと寂しい気持ちでいっぱいです。
真央ちゃんの功績は色々な番組で取り上げているので申すまでもないことですが 、
特番を見ながら彼女の魅力を私なりに改めて、感じたことがありました。
今までは真央ちゃんは弥勒菩薩みたいと思って見ていたのです。しかし、ソチ五輪のフリーの時の演技に臨むときの真央ちゃんは
般若のようにもみえました。そして演技が終わった後の泣きながら笑顔でほほ笑む姿はまるで天使のように穏やかな笑顔でした。
しかし、昨日テレビでみていて、この人はモナリザみたいだなと思いました。
というのもこれが最後になってしまうのかしらと思って、テレビの中の真央ちゃんを携帯で撮っていたのですが、
光の加減なのか、バックがどうしても暗くなってしまったのです。
が、それを見ていてハッとしました。
今まで、私はあのモナリザの絵の良さはあまりわからなかったけれど、真央ちゃんをみていて、
人を引き付ける何かをもっている人の共通点なのかなという気がしてきました。
氷上の上をしなやかに滑っている真央ちゃんはとても魅力的だったけれど、
飾らない素顔の真央ちゃんってとても素敵なほほえみだなと思いました。
まさに現代のモナリザ!という感じがしました。
これからも素敵なスマイル人生を歩んでいかれることを心から祈っています。ほんとにほんとにお疲れ様!そしてありがとう!
ほんとに寂しいです。

 

 

2017/01/27   あけましておめでとうございます!

法真寺1

 

法真寺一葉塚

 

一葉と命名された桜の木

 

一葉ゆかりの桜木の宿の標識

 

まごまごしているうちに1月ももうじき終わり。
何か月日が早く過ぎるのを感じます。このまま年を取ってしまうのか〜とあせる気持ちもあります・・・

ところで、私の新しい年は本郷の法真寺詣ではじまりました。いままでとは違って整った?お寺を始めて見て驚きもした。昔の雑然とした一葉資料館はなくなってしまい、少しがっかりしたのですが・・

「樋口一葉ゆかりの桜木の宿」という標識もあり、一葉塚があったことや、<一葉>と名ずけられた桜の木などが植えられていたりとか、整ったお寺もそれはそれで見ごたえはありました。

そして、このお寺の前には、かの有名な大学、東京大学があるので、一度は入ってみたい!と思っていたので思い切って入ってみることにしました。

 

東大の安田講堂「安田講堂」。今は静かに堂々とたたずみ周りも穏やかで、学生運動の激しかった頃の面影はもうない。
学生運動が激しかった私の青春時代は、東大入試が行われなかった唯一の年だったと聞いている。

東大はさすがに目指してはいなかったが、この安田講堂に象徴される学生運動激しき頃は、私の人生のターニングポイントでもあった。
学生運動に巻き込まれたら困るということで、私の亡き母は大学進学に猛反対。
その気持ちに勝てる程やりたいものもなかった私は社会人になることを選択した。

もちろん進学したい気持ちはあったし、それなりに勉強もしていた、進路指導の先生には何故進学しないのだ?とも言われた。

でも母親の猛反対を押し切ってまでやりたいものはなかった。しかも自分にはお金もない。

社会人として働き、お金をため、それから自分のやりたいものを見つけよう!と、
単純に、就職担当の先生に勧められるまま、あまり興味もない無難な一流と言われる会社に就職してしまった。

そのあたりからが私の人生の誤ったところかもしれない。と今では思う時もある。

でも、それはそれで自分が選択したことだ。後悔してもしかたないが、でも少しは後悔もある。

我々の学校の特徴でもあった最初から就職を希望する人には卒業論文を書くという課題が課せられた。私にはその方がやりたいことでもあった。

私が選んだ課題はもちろん樋口一葉に関すること。国会図書館や一葉記念館に何度も通い論文を書き上げた。

ほんとは大学進学して、もっときっちり文学を勉強した方が自分にとってもっと意味があったのかもしれないかなと思う時もある。

それにしても自分のやりたいことがないということは不幸なことだ。しかしそれ以上に不幸なのは、たとえやりたいことがあったとしても混乱た世の中では、子供ひとりの力ではやりたいことなどできないということ。

そういう意味でも平和な世の中が一番大切なことなのだと思う。

この2017年が平和であることを心から祈ります。

2016/12/19   今年もあとわずかですね

今年も残りわずかになってきてしまいましたが、ほんとうに色々な事があった年でした。
SMAP解散報道にはじまり、SMAP解散で終わってしまう年になってしまうのだろうか?
何とも寂しい年。
真央ちゃんのスケートも暮れには見れなかったし、ほんとに残念。
でも仕方がないですね、これが世の移り変わりということですかね〜。
亡くなってしまった人とは二度と会うことはできないけれど、
生きてさえいればまた会える。いつかまた見れる。
そう考えれば「人生いろいろ」って感じですかね。 皆さん頑張って下さい!
私もしぶとく頑張ります!

2016/07/14   偶然見つけた真央ちゃんの蝶々夫人の衣装

 

浅田真央ちゃん蝶々夫人の衣装用事があって表参道に行ったところ、偶然浅田真央さんが「蝶々夫人」で滑った時の衣装を見つけた。そのお店は石鹸を販売しているお店だったがが、私は肌が弱くベビー石鹸しか使わないので・・と買わずに断ってしまい気がひけたけれど、店員さんが写真とってもいいですよ、と言ってくれたので何枚かとらせていただいた。
そして気がついた。
この蝶々夫人の衣装は帯だけでなく帯〆もしめていたのだということに。
帯らしきものを締めていたのはわかっていたが、まさか帯〆までとは思わなかった。
この衣装を着てあの大変なジャンプを飛んでいたのかと思うとなおさら感激した。さぞかし飛びにくかっただろうなあ。それでも着物のイメージにこだわったのだということがひしひしと伝わってきた。
さらに驚いたことに胸には蝶々の刺繍(?)もしてあった。キラキラかがやいているなとは思っていたが喋々だとは思わなかった。
思わず樋口一葉の「たけくらべ」に出てくる美登利の着物を連想してしまった。改めて真央ちゃんは凄い!と思った。これからもずっと頑張ってほしいなあと思う。

一葉さんと言えば、何気なく見ていた放送大学の番組で樋口一葉の和歌について放送していて思わず見入ってしまった。
きらびやかな令嬢たちの中、着ていくものがない一葉は母親が仕立て直してくれた古着をきてはじめての句会に出席。そしてその句会で一位になった時の短歌が紹介されていた。

<題> 月前の柳 

   打ち靡く 柳をみれば のどかなる おぼろ月夜も 風はありけり

という句だそうだ。急いで書きとめたので間違っているかもしれないが・・・

2016/03/25   久々に一葉さん関係の情報です!

神田明神の近くに「明神あめ 大國屋冶助舗」という飴やさんがあるそうです。私はまだ行ったことはないのですが、そこの店は江戸時代からの老舗の飴店だそうです。そしてあの樋口一葉さんがお母さんへのお土産に買っていったことでも知られているそうです。大國屋冶助舗のむかしながらのあめは心和ませるやさしい味わいが特徴で、黒糖、ニッキ、などの昔ながらの定番から、黄粉、青海苔といった変わり種も楽しいそうです。今度探して行ってみようと思います。

場所は、文京区湯島1−2−12 営業は8時から16時だそうです。

2015/12/28   お帰り!浅田真央ちゃん!

昨日のフィギュアスケート全日本選手権大会を見ていて、久々にこのページを更新したくなった。
私は風邪で熱があったにもかかわらず、真央ちゃんの演技だけは見たかった。
ボーとする頭でテレビをみていたが、ショートプログラムでは「あ〜真央ちゃん大丈夫かな〜」と
ドキドキしながらみていた。が、まさかの5位。これでダメだったら引退しちゃうのかな?と思った。
昨日は「真央ちゃん頑張れ!真央ちゃん頑張れ!」と言っている自分の夢で目がさめた。
それで昨日のフリーの演技は床に伏せながらみていた。トリプルアクセルは失敗したが、
真央ちゃんらしい優雅で華麗な演技でとても感動した。点数なんてどうでもいいじゃない!
と思っていたら、3位にくいこんできた。ほんとにこの真央ちゃんって子には不思議な力があるなと思う。
真央ちゃんなら引退してプロスケーターになってもお客さんは入るだろうし、充分やっていけるだろう。
しかし、世の中には、アイスショーを見に行けない人もいるのだ。
お年寄り、病気の人、お金のない人、介護中の人、子育て中の人、ひきこもりの人などなど。
実は私もそのひとりだ。

私は今年、実母を3か月前に自宅で看取った 。前から具合が悪かったが88歳の高齢にもかかわらず、
毎日買い物に行って 94歳の父の世話を娘たちには面倒かけまいとしてひとりで頑張っていた人だった。
救急車で運ばれた時には、もうすでに末期ガンで脳にも転移し、余命数カ月と宣告された。
病院にもおいてもらえず、自宅療養をせざるをえなかった。でも母にはガンだとは知らせなかった。
最後まで希望を持っていてほしかったから。
できる限りのことをしようと実家に通った。看病している家族のみんなの体力は限界に近かった。
それでも歌や踊りが大好きだった母は、五木ひろしの歌をかけると喜んだ。
べッドの中で手だけを動かして歌に合わせて踊ったりもしていた。
それが亡くなる3日前くらいのことだった。まだ大丈夫だと思っていた矢先、母は突然口があかなくなり、
物が食べられなくなり亡くなった。
医者に言われていたけいれん発作もおこすことなく、血痰も吐くことなくほんとに静かに息をひきとった。
いや、ひきとってくれた。覚悟はしていたのでその時はあまり涙はでなかったが、
今になって母がいなくなってしまい寂しくて時折涙が出てくる。
今まで私の愚痴を聞いてくれて励ましてくれていた母。
その母が死ぬ間際に一番喜んだのは故郷の景色と歌だった。
真央ちゃんの演技が見れたらさぞかし喜んだことだろうと思う。

今の私は残された94歳の父の世話で忙しい。とてもショーなど見に行くゆとりなどない。
でも テレビで放映してくれるから真央ちゃんの演技を見ることができる。
人は必ず老いて死ぬ。これはさけられない事実だということを身近な母の死で悟った。
だから自分がこの世でできる仕事は何かということを認識しながら生きていかなければいけないのだと思う。

転んでも転んでも挑戦し続ける浅田真央ちゃんを私は応援したい。
だから、会場に足を運べない人の為にも、真央ちゃんには自分が納得できるまで現役で頑張ってほしいと願う。
もちろん樋口つながりで樋口新葉さんにも頑張ってもらいたいが・・・

2013/08/14   小泉今日子主演 こまつ座公演「頭痛肩こり樋口一葉」を見ました。

井上ひさしさんのこの本のことは知っていましたが、こまつ座の舞台を見るのははじめてでした。
ある人から教えられて直前で予約し、残り一席ぎりぎりで予約ができました。

NHKの連ドラ<天野春子>役のキョンキョンがとても素敵だなあと思って、見てみようという気になりました。
脇をかためる女優さんもそうそうたるメンバーで当日を楽しみにしていました。
舞台にはやはり樋口一葉の物語らしく原稿用紙が垂れ幕として出てきます。

内容は一葉の日記に書かれている話と一葉の書いた小説のストーリーを織り交ぜた形で進んでいき
「あっ、あれは十三夜のセリフ」「あっ、あれはにごりえのセリフ」「あっ、あれは一葉の日記の中にあった」
と感激しながら見ていました。

そして今回、私が一番面白かったのは、母親の存在。
日記にも母親のことはよく出てくるのだけれど、どうも、いまいち人物像がわからなかっのですが、
今回はじめて「こういう人だったんだ」とはっきり見えてきました。

それにしても一葉の小説は暗い小説ばかりなのに、井上ひさしさんは上手に面白おかしく
見ている人を飽きさせないようにストーリーを組み立てているなあと感心しました。

今回、こまつ座の舞台ははじめて見に行ったけれど若い人が多かったように思います。
こういうように若い人に樋口一葉のことを知ってもらえる機会がもっと増えればいいなあと感じました。
最後の場面では、演じた皆さんに拍手しながら「お疲れ様でした!良い舞台をありがとう!」
と心の中で叫んでいました。そして教えてくれたBさんにもとても感謝です。ありがとう!ありがとう!

2013/05/19   「高幡不動にて」

お天気も良かったので久々に遠出?をしました。
京王線の「高幡不動」まで。お不動様の大きさに圧倒され、新撰組の土方歳三の像がたっているのに感激し、
緑がたくさんある境内を散歩しながら「がらくた市」を見てまわりました。

布を期待して行ったのですが、硬貨ばかりを売っている所で足が止まり、明治のお金はないかしらとさがしました。
するとどうでしょう 「求めよさらば与えられん!」のとおり明治の銅貨を見つけました。
今まで明治のお金はないだろうなあとあきらめていたのだけれど、見つけることができました。
しかも 明治の銅貨の裏には龍の文様があるのをお店の人に教えてもらい、とても感動してしまいました。

 

 

2011/04/28   「皇后さまと水仙」

きのう、天皇皇后両陛下が東北の被災地を見舞われたニュースが放映されていました。
その時、被災された方から、美智子皇后様に水仙の花が手渡されました。

阪神淡路大震災の時には、皇后さまが、皇居に咲いていた水仙の花を被災された方に持っていかれたそうです。
その時以来、水仙の花は復興のシンボルとなったそうです。その話は今回私ははじめて知った。

樋口一葉のシンボルも水仙の花。
「たけくらべ」の最後に水仙の花の造花が投げ込まれるシーンがあります。
「どんな境遇にあっても強く逞しく生きろよっ!」という信如から美登利への応援メッセージとも思われる感動的なシーン。
今回の東日本大震災では被災地に逞しくも咲いていた水仙の花だそうですが、
水仙の花が象徴する強さを感じ、思いがけないところから樋口一葉を連想してしまいました。 
一日も早い復興を!と祈らずにはいられない。そんな所からこのホームページのタイトルを「樋口一葉と水仙」と致しました。

 

 

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