創作人形 しまきりゅう創作人形館/樋口一葉の小説と明治という時代/人形販売
1951年東京に生まれる。 東京都立白鴎高校に入学。 高校2年の時、母が持っていた本の表紙に惹かれて、樋口一葉の「たけくらべ」を読み感動。 高校3年の時、学園紛争で混沌とした中、自分の進路が見つからず、とりあえず社会に出てから自分の進路を見つけようと就職の道を選ぶ。 当時、進学校だった白鴎高校では、最初から就職を希望する人は、ほんの数人程度。就職希望者には、卒業論文を書くことが義務づけられていたのだが、迷わず「樋口一葉の現代性」というタイトルで卒業論文に取り組む。当時18歳では入れなかった国会図書館には担当の先生からの許可をもらい、何度も通ったのが、ちょっと背伸びをしたような嬉しい気分で、今でも良い思い出となっている。 また、三ノ輪にあった、当時は静かだった一葉記念館にも何度も足を運び、一葉の書いた手紙や筆跡に触れることで「日本の良さ」を肌で感じ、日本文化に関する勉強がしてみたいと思うようになる。この卒業論文がきっかけで、樋口一葉は私の人生の道しるべとなっていく。 (つい最近わかったことですが、樋口一葉にとって小説の師、半井桃水は重要な人物なのですが、この桃水に一葉を引き合わせたのは樋口一葉の妹、邦子の友人、野々宮きく子でした。野々宮きく子は明治2年、千葉県に生れ、東京府高等女学校に学び、半井桃水の妹、幸子および桃水の家に同居していた、一葉が生涯誤解をしていた人物、鶴田たみ子とは同級であったそうです。この野々宮きく子、幸子、たみ子の3人の女性が通っていた東京府高等女学校は しまきりゅう が通っていた東京都立白鴎高等学校の前身だったのです。) 高校卒業後、旧川崎製鉄(現JFEホールディングス)に入社。働きながら夜間「さくら人形」の教室に通い人形作りに没頭する。あまりにも夢中になって製作していた為、体調を悪くし、体調を整えるにはどうしたらよいかと、栄養士、東畑朝子さんの本を読んでいるうちに、食生活の大切さを痛感し、栄養士になろうと決心。会社を退職し、女子栄養短期大学に進学。 2年間、実務やアルバイトで色々な経験を積みながら栄養士の資格を取得。 短大卒業時には卒業生代表で答辞をのべる役を仰せつかり、故香川綾学長先生に自分の書いた答辞を受け取っていただいたことが、今までの人生の中での唯一の誇りとなっている。 卒業後、東京新橋にある慈恵医大付属病院に1年間栄養士として勤務するが、結婚の為退職。 高校を卒業してから結婚するまでの間に、通信教育や夜間の教室でさくら人形はもちろん、華道、茶道、和裁など日本文化を一通り習得。 <さくら人形>では日本人形作家協会より雅号もいただき、教室免許も取得。 その他、清香流・清香古流師範免許取得。 結婚し、夫の実家の稼業であった寿司割烹店を10年程手伝う。 その後、夫は独立。夫と共に20年程、会社経営をすることとなる。 その間、3人の子供の子育てと仕事とで忙しく、人形作りは中断。時々、趣味で作る程度。 子供が成長したのを機に、会社を退き、本格的に人形作りを再開。 日本古来の伝統的な市松人形や三つ折れ人形、抱き人形、ポーズ人形、球体関節人形など、さまざまな人形の作り方を習得した後、現在は、主に古布を使った、土台から完成まで、すべての工程をひとりで行う創作人形を制作。 数年前より個展を開催。人形制作に専念する為、2005年、有限会社Tコーポレーションを設立。 2007年3月、東京日本橋人形町に「人形屋りゅう」と「ギャラリーりゅう」をオープン。 2007年秋、はじめて応募した公募展、京都人形寺宝鏡寺人形展五十周年記念人形公募展で 「ご長寿夫婦」の人形が入選。これを機に2008年、「人形屋りゅう」を改め、ギャラリーりゅう常設展示の 「人形町 しまきりゅう創作人形館」として再スタート。 2008年秋、美術品商の許可証を東京都公安委員会より取得。 2010年1月、日本人形作家協会の永世会員となる。 2010年2月14日、樋口一葉原作「われから」公演に際し、しまきりゅう創作人形館の「時は明治!」の人形が三越劇場のロビーに展示される。 人形町 しまきりゅう創作人形館では、樋口一葉が生きた時代、「時は明治!」をメインテーマに明治初期、中期の東京の下町の一般庶民の姿を人形で創り上げようと現在も挑戦中。 その他、創作節句人形や創作人形の販売もしており、「世界でたったひとつの人形」と喜ばれている。 |
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