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水天宮は、文政元年(1818)に江戸三田赤羽の有馬藩邸に有馬頼徳が領地久留米天宮の分社をたてたのが江戸の水天宮のはじまりだそうです。 藩邸内にあったため一般人の参拝が難しかったそうですが、あまりの人気に応え、毎月5の日に一般開放され、「情け有馬の水天宮」という洒落言葉がはやるほど賑わったそうです。 明治5年に、青山から現在の地(東京都中央区日本橋蛎殻町2丁目4番1号)に移転。 関東大震災で社殿が消失、昭和42年に現在の権現造りの社殿となりました。 参拝の妊婦が鈴の緒(鈴を鳴らす晒しの紐)のおさがりを頂き腹帯として安産を祈願したところ、 非常に安産だったことから、人づてに噂が広まり、安産の神様として信仰を集め、 現在でも安産・子授けの神様として、戌の日には行列ができる程の人で賑わっています。 祭神は天御中主大神・安徳天皇・健礼門院・二位ノ尼。安産の他に子授け、水難除け、渡航安全のご利益があります。
一葉日記には「梅吉より母君を誘うて、共に水天宮に参詣をなす」とあります。 「よもぎふにっ記」明治26年2月5日)より 4日 梅吉より母君を誘ひて、共に水天宮に参詣を為す。帰路うなぎの馳走に成りしとて母君よろこび給ふ。此日日曜なれば、あし澤来る。 戀はあさましきもの成りけれ。・・・・・・・・・ 省略 と書かれ、この日の日記には長文で、戀について書きしるしています。 また、樋口一葉の萩の舎の親友、伊東夏子は水天宮の近くにあった鳥問屋の娘さんであったそうです。ただ、この町には住んでいなかったようです。 |
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